本当の従軍慰安婦

「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は 8万とも20万人 ともいわれる。」


ありえない事実


 1992年1月 宮沢 喜一 首相の訪韓直前を狙い朝日新聞は1面トップに、「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」との見出しで報道します。慰安婦解説の内容で次のように報じます。

「1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を設けた。元軍人や軍医などによると、開設当初から約8割が朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身(ていしん)隊の名で強制連行した。その人数は 8万とも20万人 ともいわれる。」(92年1月朝日新聞朝刊)

 この記事が日本軍女性20万人強制連行 の誤解のもとと思えます。この記事のあと韓国から「軍の関与を認め謝罪すればすべて許す」の声が上がります。

 1993年に軍関与を認め謝罪する河野談話が発表されました。

 1996年に朝日新聞の記事や河野談話、挺対協からの聞取り調査をまとめクマラスワミ報告書が作成され国連で採択されました。

 2007年に米国下院本会議で対日非難決議案が採択され、日本軍女性20万人強制連行は事実だと世界に誤解されました。

 実際は日本軍公娼(国家公認の売春婦)は総計で2万人程度、朝鮮系の割合は2割程度と判明してるので朝鮮系売春婦は多く見積もって5000人程度です。(秦郁彦日大教授の説) 高給を貰い本国に送金や貯金をし国に帰った人が大半です。一部で軍票が無効になり貯金が無くなって訴えた日本軍公娼もいますが本質的に日本軍は強制連行はもちろん売春の強要もしていません。

 それでも最終的に日本は女性20万人強制連行の汚名をかぶりました。1940年当時の韓国の主張する慰安婦の年齢16歳から21歳の朝鮮女性は125万人であり、実に6.25人に1人が日本軍に連れ去られたことになります。ならば人口減少が起こるはずですが韓国の人口統計では太平洋戦争時も人口増加しています。

 世界各地で戦っていた日本軍が自軍の慰安婦にする為にわざわざ平和に暮らしていた朝鮮半島まで出向き少女20万人を強制連行するなんて普通の知性の持ち主なら不自然と感じるはずです。そんな事実はありえないのです。

 なぜこんな虚報が世界で信じられたのか考えてみましょう。

 その前にこの問題を語るときに外せない歴史をすこしだけ。

 1945年8月太平洋戦争終戦間際にソ連は日ソ中立条約を破り日本領だった朝鮮半島に兵を送り込みます。アメリカはソ連軍に朝鮮半島全体が掌握されることを恐れ、ソ連に対し朝鮮半島の南北分割占領を提案。ソ連はこの提案を受け入れ、朝鮮半島は北緯38度線を境に北部をソ連軍、南部をアメリカ軍に分割占領されました。

 1948年に朝鮮半島は分断され韓国と北朝鮮がそれぞれ成立します。

 1950年6月に軍事的に優位だった北朝鮮が38度線を越えて韓国に侵略を仕掛け朝鮮戦争が始まりました。北朝鮮には中国が、韓国には国連軍が加勢し、3年間に及ぶ戦争は朝鮮半島全土を戦場と化して荒廃させたのです。

 韓国は朝鮮戦争で国連軍から外貨を稼ぐため違法の国営売春婦、特殊慰安隊(韓国軍慰安婦、第五補給品、従軍慰安婦、洋公主 、挺身隊)を創設します。

 挺身隊の名称での募集や動員、強制連行で女性をそろえたと推察されます。

 朝鮮戦争休戦時に韓国軍は特殊慰安隊の資料を徹底的に処分したとされるので総数は不明ですが、休戦時に30万人の娼婦がいたことから8万人から20万人がひどい扱い(自殺や暴行死が多数出ていた)で売春を強要されていたようです。

 これらの戦争犯罪を日本軍に押し付けるため、朝日新聞が一連の「従軍慰安婦」の記事を書いたのです。

(1992年1月11日朝日新聞朝刊) 

韓国軍の戦争犯罪を日本に

擦り付ける卑劣な情報戦

情報戦の始まり 

 従軍慰安婦報道は完全な嘘でなく、韓国軍が犯した強制連行や売春の強要という人道に対する罪を日本軍が行ったと誤解させて貶め、韓国軍の戦争犯罪を隠蔽し日韓の対外関係を悪化させ反日を煽る目的で行われた朝日新聞と挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が中国共産党の指示で行った一石三鳥をねらう情報戦だと考えます。

 私はこのweb作り始めてから韓国の歴史を調べましたが朝鮮戦争は悲惨です。まず驚いたのが死者の多さ、そして罪のない自国民虐殺の多さが理解できませんでした。韓国の初代大統領 李承晩は人を人と思わない日本人の感覚からは形容しがたい人物です。韓国軍は建国以前から国内の左翼勢力を制圧するため清野作戦(ゲリラ潜伏地帯全体を無関係の国民ごと略奪、虐殺し、焼払う)を行っています。

 済州島では1948年に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされています。 島民の多くは日本に逃れ在日韓国人と成りました。多くの少女は強制連行され2週間に及ぶ凌辱の後に殺害されたとか、軍艦に連れ込まれ凌辱の後、海に捨てて殺害されたとか、耳を疑う証言があり当初は信じられませんでしたが、韓国軍はベトナムでも少女を凌辱の後、撃ち殺す行為が報じられているので、事実なのだろうと思いました。また、日本人(私)との感覚の違いも思い知るのです。そして強制連行は虐殺行為とセットになっていて、吉田証言のような平時の強制連行は無理であると思い至るのです。

 中国では戦時中の日本人による中国人被害者数を3500万人とし自国の政策失敗で死んだ人数まで押し付ける情報戦を行っていました。韓国人に朝鮮戦争被害を日本併合時の日本の仕業と誤認させる目的もあったのでしょう。 

 1970年頃に韓国新聞は「日本の挺身隊の総数20万人徴用、内朝鮮人5万から7万人」と報じています。 この記事をもとに、元毎日新聞記者の千田 夏光が1973年に著作の『従軍慰安婦』で「『挺身隊』という名のもとに彼女らは集められたのである。(中略)総計二十万人が集められたうち『慰安婦』にされたのは『五万人ないし七万人』とされている」と書いています。このころには漠然と韓国軍慰安婦被害を日本軍に押し付ける情報戦が始まっていたと考えます。

 実際の女子挺身隊は出兵の為減少した日本国内の労働力を補填するため未婚女性に勤労奉仕を求めたものです。1943年の設立で総数約16万人です。終戦間際に日本国内では徴用もありました。朝鮮半島で女子挺身隊の徴用は行ってません、民間募集の4000人足らずが「朝鮮女子勤労挺身隊」として来日し終戦前に本国に帰ってます。公娼にされた例など全くないのです。

 しかしなぜか韓国では「挺身隊に志願すると慰安婦にされる」が共通認識になっており韓国軍慰安婦を別名で挺身隊とも呼びます。日本が朝鮮半島募集した女子挺身隊は4000人足らずなのに、なぜ「挺身隊」の名称が一般に広まったのでしょうか?

 答えは韓国軍が日本軍と同じ挺身隊の名称で慰安婦の募集や動員を行った為と推測されます。

 未確認ですが強制連行した少女を「特殊挺身隊」という韓国陸軍の施設で慰安婦にしたと言う話もあります。

 文頭の記事の「主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した」の「 挺身隊」は故意に使った物と思えます。挺身隊の設立は1943年です。太平洋戦争当初に使われるはずはないのです、他にも検証してみましょう。

 日本に慰安所はありましたが公娼を慰安婦とは呼びませんでした。慰安婦は朝鮮戦争で使われた言葉です。南へ北へ戦線の移動した韓国の戦場で移動式の韓国軍慰安婦は前線に送られる時ひとりずつドラム缶に詰められ軍と共に移動するため別名「従軍慰安婦」と呼ばれていました。なぜ日本軍公娼を報じるのに同じ名称をつけたのでしょうか?

 混同をさそうため同じ名称を使用したと推測されます。挺身隊の場合は韓国軍が日本の名称を使ったのですが逆に朝鮮戦争の時の名称を日本軍公娼につけたのです。

「主として朝鮮人女性」は本当でしょうか?

 日本軍が朝鮮半島で強制連行を行こなったような印象をつけるため「主として朝鮮人女性」とした推測されます。実際の日本軍公娼は日本人が6割、朝鮮系は2割、その他外国人が2割と判明しています。

 太平洋戦争で各地で戦っていた日本軍が戦場でもない朝鮮半島で強制連行を実行し戦場につれて行くような無駄な行為を行う訳も余力もありません。韓国軍がベトナムで行ったように現地の戦場で強制連行する方が普通です。朝鮮半島で強制連行が行われたのなら戦場になった時だと考えます。

「8万とも20万人ともいわれる」の人数は根拠不明です。韓国における韓国軍慰安婦の被害者数だと推測されます。

 わずかに韓国で記憶にのこる韓国軍慰安婦の被害を日本軍のしわざと歴史修正するため韓国軍慰安婦で使われていた名称や被害者数を使い記事を書いたのでしょう。

 本当の従軍慰安婦

「朝鮮戦争に入ると、(韓国軍は)主として朝鮮人女性を挺身隊の名で動員、強制連行した。その人数は8万とも20万人ともいわれる」が事実だと推測されます。

 実際の事件の時期を入れ替え見事に日本軍に罪を擦り付けた狡猾な記事です。全くの捏造なら被害も存在せず世界が騙されることもなかったのでしょう。

 証拠は自称日本軍慰安婦の証言に沢山あります。

「ジープで連れてこられた」「ヘリで運ばれた」「クリスマスは忙しかった」「ドラム缶で運ばれた」などです。

韓国が日本を「戦犯国」と呼ぶのは

己の罪を隠すため


実際の経緯


 日本の戦時売春は、民間業者に慰安所を経営させるのがほとんどで、軍の関与もほとんどなく公娼制度(売春婦を国家認定する制度)も当時は合法でしたので何の罪もありません。

 日本軍公娼は高給の人気職業でした。 朝鮮半島では人身売買が盛んで日本軍や警察は厳しく取り締まっていたのです。朝鮮半島で日本軍公娼になるには警察に応募して身元の確認をし(人身売買でない事の確認)18才未満の場合はさらに両親の承諾を確認してから軍の面接を受け合格してから初めて働けたのです。

 強制連行はもちろん売春の強要もありません。応募の女性が国の公認を受け高給をもらい売春していたのです。むしろ兵士の士気を高め強姦事件や性病を防ぐための有用な制度だと思えます。  

 朝鮮半島においては、連合軍による軍政が敷かれ慰安所、公娼ともにアメリカ軍に引き継がれました。1945年9月には日本軍兵站基地があった広大な基地だった富平に米軍基地が居抜きで建設され基地周辺にあった公娼地域も引き継がれました。その他の基地周辺にも公娼地域が存在したようです。

 1947年11月には占領下で公娼制度が廃止されますが、米軍に性病が蔓延したので、娼婦の性病検査は1949年まで続けられました。

 1950年 朝鮮戦争が始まると韓国政府は韓国軍と国連軍のための慰安所を運営します。事実上の公娼であり違法です。韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していました。部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用しました。別名「従軍慰安婦」です。

 韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したことは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられました。慰安所開設のくだりには 「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあります。ようするに軍の士気を高めるため の設置です。固定式の慰安所の別名は「洋公主」「挺身隊」です。 各部隊に「第五補給品」として一定人数の慰安婦を割り当てていたと言う証言もあり正に性奴隷です。

 日本占領時代の公娼より大量に増員されていることから挺身隊の名称での募集、韓国軍は北朝鮮侵攻時や自国では保導連盟事件(左翼思想の国民を100万人以上虐殺)や南部ゲリラ討伐(実際は韓国軍が罪のない自国民の山村を襲い略奪、虐殺して焼払う清野作戦)で強制連行を行ったのでしょう。応募でないので売春の強要が起こり自殺や、強姦での暴行死も多かったと言われています。

 韓国政府や軍が正式に設置運営している点が日本と異なり国営売春です。韓国政府は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」したと言われています。

 韓国軍慰安婦(特殊慰安隊)は日本と違い明らかな「戦争犯罪」であり「人道に対する罪」なのです。

 1953年7月27日 38度線近辺の板門店で北朝鮮、中国軍両軍と国連軍の間で休戦協定が結ばれ、3年間続いた戦争は一時の終結をし、現在も停戦中です。「北進統一」に固執した李承晩大統領はこの停戦協定を不服として調印式に参加しませんでした。朝鮮戦争休戦時に韓国軍は空が曇るほど多くの慰安婦関係の資料を焼き隠蔽を図ったと言われています。特殊慰安隊は解散しますが多くが在韓米軍慰安婦として働き公娼制度は1990年まで残ります。人権無視の劣悪な環境だったと言われています。

 1960年代の韓国ではアメリカ軍相手の売春が国家を挙げて奨励されていました。国民総生産の25%を占めていたのです。

 1964年韓国軍はベトナム戦争に参戦します。韓国軍は慰安所を開きたいと希望しますが米軍に禁止されます。韓国兵による強姦や残虐行為が頻発したため、現地人女性を強制連行し「トルコ風呂」の名称で慰安所を開設します。

 個人的に気になるのは韓国軍は朝鮮戦争とベトナム戦争で多くの少女を強制連行している証言があるのですが、強制連行された慰安婦の生存者はいないのです。

1997年 朝日新聞が強制連行を撤回せず

言張ったのは世界を騙すため


朝日新聞は何を報じたのか


 吉田 清治と言う経歴不明な文筆家がいます。この情報戦の重要人物のひとりです。

 息子さんの証言によると経営していた会社が傾き経済的に困窮し週刊誌に投稿するなどの執筆活動始めました。

 1963年に 週刊朝日で公募された手記「私の八月十五日」において、吉田東司名義で書いた下関での労務調達風景が佳作となり賞金5000円を得ています。こののち1973年頃(千田 夏光『従軍慰安婦』出版年) 朝日新聞が強制連行の書籍を書くように薦めたのでないかと推測します。韓国建国前の済州島では1947年南北統一された自主独立国家を訴える左翼勢力が弾圧に耐え兼ね武装蜂起します。李承晩は国防警備隊(後の韓国軍)を投入し罪のない島民ともども虐殺を行いました。静野作戦です。その時多くの少女を強制連行し、凌辱の後に殺害した歴史があるのです。この歴史を日本軍と誤認させるため済州島を選んだと思えます。

 1977年に『朝鮮人慰安婦と日本人』を刊行し、軍令で済州島で女性を強制連行して慰安婦にしたと「告白」します。

 1982年9月に朝日新聞は吉田証言を詳しく記事にして伝えます。

 1983年7月に出版した『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』の中で済州島で200人の女性を拉致したと証言します。同年12月私費で強制連行の謝罪碑をたてるために韓国を訪れ、土下座して謝罪しました。この事も朝日は大きく報じます。

 1989年に著書が韓国で翻訳されると、韓国の済州新聞は現地取材し「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」と言う証言を掲載、秦郁彦教授の現地調査に済州新聞記者は吉田証言に対して「なんでそんな嘘をつくのですか?」と答えたと言われています。経歴を含め証言が度々変わることや、研究者の検証の結果、吉田証言は信用できないと否定されます。吉田 清治の息子さんの証言では済州島の地図を見て著作を書いていたそうですが1948年に28万人いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされています。3万人の寒村ばかりになった済州島の地図を見ながら書いたのでこのような結果になったのだと思えます。

 日本政府は吉田証言の報道をうけ朝鮮女子挺身隊の聞き取り調査や朝鮮人強制連行の調査を行いますが吉田証言以外の強制連行の証拠は見つかりません。

 1990年 韓国でも韓国軍あるいは米軍にレイプされた韓国軍慰安婦の存在について韓国内でも公論化され始めます。6月に日本の国会での「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はない」という発言受け、韓国に挺対協(韓国挺身隊問題対策協議会)が結成されました。北朝鮮と親しく背後に中国の関与も推測されます。 

 挺対協が結成されるとすぐに精力的に活動を始めます。韓国マスコミに働きかけ特殊慰安隊や朝鮮戦争休戦後も公娼として残った米軍慰安婦の報道を抑え、代わりに日本軍慰安婦の報道を増やします。米軍慰安婦も廃止又は民営化し韓国軍の罪を隠蔽します。

 1991年5月に朝日新聞は大阪版で「木剣ふるい無理やり動員」の記事で、すでに否定されている吉田証言を再び紹介します。

 1991年8月 朝日新聞は挺対協が探しだした人物を「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」(ソウル発 植村隆)と報じます。取材で「貧困から親にキーセン(妓生)に売られた」と確認していたのに記事では「女子挺身隊の名で連行された」と歪曲報道します。1930年頃から日本政府は朝鮮半島での誘拐や人身売買を厳しく取り締まっていました。1939年頃に大きな朝鮮人の人身売買組織が検挙されています。1941年連行され慰安婦にされたと言う金 学順さんは日本軍の公娼とは考えられません、日本軍公娼は高給で人気職業です。18才未満の朝鮮人少女が公娼になるには警察に応募し戸籍確認の上に両親の同意の確認、軍の面接に合格して初めて公娼として働けたのです。この記事は全くの捏造でしょう。そもそも女子挺身隊の設立は1943年です、1941年に女子挺身隊の名で連行される訳はないのです。

実際の記事

 1991年12月25日 同じ人物 金 学順の証言を別人のように載せます。慰安婦検証記事で朝日は「事実のねじ曲げは無い」と言い切りますが、それ以前に全くの捏造だと思えます。常識的に考えて作戦行動の兵士が慰安婦を連れ歩く事などなく、金 学順の当初の証言と大きく違っています。金 学順さんは朝鮮半島で人身売買の取り締まりが厳しくなって中国の売春宿に売られた、民間売春婦で日本軍や日本政府と関係ないと思えます。ぜひ朝日新聞には説明していただきたい物です。

実際の記事

 1992年に「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。見出しに「軍関与」とありますが、記事をよく読めば、民間の悪徳業者による「強制連行」を、軍が警察と協力してやめさせようとしたという内容です。印象操作なのです。慰安婦の解説メモに「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は 8万とも20万人 ともいわれる。」と報じます。朝日新聞が挺対協の主張をのせ、挺対協が日本が認めた事実と韓国内で紹介するのです。完全なマッチポンプです。

 1993年に韓国政府から「軍の関与を認め謝罪すればすべて許す」の発言を受け日本政府は軍関与を認める河野談話をだします。韓国政府と「官房長官談話として出してくれれば、それを最後にして慰安婦について日韓間の問題として提起しない」と言う密約が有ったと2014年に暴露されます。

 1996年 吉田 清治は自身の著書が創作だったと認めます。

 1996年 朝日新聞の記事や河野談話吉田証言、挺対協からの聞取り調査をまとめクマラスワミ報告書が作成され国連で採択されます。

 韓国では軍の金喜午大将は特殊慰安隊について「明らかにされたくはない恥ずかしい軍部の恥部であるが事実である」と語りました。しかし、韓国の学会や挺対協からは「身内の恥をさらすもの」「日本の極右の弁明の材料となりうる」と警告され、韓国国防部所属資料室の慰安婦資料の閲覧は禁止されてしまい、特殊慰安隊は隠蔽されます。

 1997年3月 朝日新聞は2度に渡り済州島で取材をします。その結果「吉田の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」との記事を掲載したものの訂正記事は出さず、強制連行を言張ります。

 2002年2月 朝日新聞は韓国軍にも慰安婦があったと朝日デジタルで報じます 

(2002年2月23日 韓国軍慰安婦を報じる朝日デジタル) 

 2007年 米国下院本会議で対日非難決議案が採択され、日本軍女性20万人強制連行は事実だと世界に誤解されます。2019年米国で活発に慰安婦問題の活動していた米国上院議員の補佐官が司法当局から中国政府のスパイだと断じられました。(JBprscc 2019.7.5

 2011年から挺対協は朝日新聞の記事を元に「日本軍朝鮮人少女20万人強制連行」の内容で各地に従軍慰安婦像を立て、韓国軍慰安婦の被害者を日本軍慰安婦と偽り、世界各国で講演することで日本を貶め、韓国の反日をあおり日韓の対外関係悪化を図ったのです。

 2012年 韓国最大発行部数を誇る朝鮮日報は従軍慰安婦は日本軍の性奴隷であるが、韓国軍慰安婦の存在については歪曲であると主張しています。

 韓国政府の主張は韓国軍が犯した戦争犯罪をすべて日本が行ったと認め謝罪しろと言うものです、日本に到底のめる要求ではありません。慰安婦問題は難航しました。

 2014年8月 朝日新聞は「事実関係の誤りがあった」「裏付け取材が不十分だった」などとして、吉田証言の関連記事のみを撤回しお茶を濁します。9月11日に慰安婦問題と福島第一原発事故の「吉田調書」の誤報を認め、木村伊量社長らが会見して謝罪しました。関係者の責任問題を問われ、木村社長がこう答えます。

「慰安婦報道の問題は長い時間が経過した過去の事案について、関係者の責任をどう問うのかかなり難しい側面があると私は認識している。(中略)私個人としては具体的責任をさかのぼって処罰するのは難しい問題と考えている」

 日本の「長い時間が経過した過去の事案」について、捏造記事で先頭に立って追及し続けてきたのは朝日新聞でしょう。朝日新聞が責任をもって世界に対し事実を配信する事こそ真の謝罪だと考えます。社長が辞めて済む問題ではありません、朝日新聞は未だに日本軍による売春の強要が有ったと言い続けています。

 2015年 韓国で日本軍慰安婦は賠償を受けているのに賠償を受けていないと訴訟した在韓米軍慰安婦は被害の一部を認められ勝訴し韓国が賠償します。

 2015年12月 強制連行の証拠がなくなり不利になった韓国と日本の間で「慰安婦問題日韓合意」が結ばれ最終的かつ不可逆的な玉虫色の解決を日韓両国が確認しました。

 2019年07月 日本の同意なく日韓慰安婦財団が正式解散したことが報じられました。 

 韓国軍の戦争犯罪を日本軍に押し付け隠蔽し日本を貶め日韓の対外関係を悪化させる目的で捏造報道した「朝日新聞」と協力した「挺対協」事実を隠蔽する「韓国政府」を許すことは出来ません。

 韓国でほぼすべてのマスコミが報道する日本軍慰安婦問題と異なり、韓国軍慰安婦問題に関しては一部の革新系メディアが取り上げるのみであり、保守系メディアである大手新聞社やテレビ局は、慰安婦裁判等も含め黙殺している状態なのです。

 韓国内では日本軍慰安婦は、ころころ変わる証言をして馬脚をあらわしても、どんな不条理な証言を言っても証拠として採用し、英雄視しています。

 韓国軍を訴えた「本当の従軍慰安婦」は自国の戦争犯罪を隠蔽したいため「証言に信憑性がない」と却下され、何の賠償も受けていません。さぞかし無念だったと思います。彼女たちがこの情報戦の真の被害者「本当の従軍慰安婦」なのです。

 告発するためこの文を書きました。

事実は白日にさらされるべきです。

 出来るだけ多くの方に見ていただきたいのでリンクは自由にお貼りください。

ネット上で紹介してくださるとうれしいです。


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